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地名の由来
小山市犬塚の「犬塚」という地名はどこに由来するのか。「犬塚」という地名は特別珍しい名前ではありません。この近くでは茨城県の筑西市関城にあります。埼玉県の熊谷市にもあります。さらにインターネット上には犬塚小学校が福岡県にあることが分かっています。では、ここの「犬塚」はどこに根拠を求めるかです。確かな事は、大谷北小学校の敷地内に明治中期まで存在した大きな塚(円墳)に由来することは確かで、この塚をどのようにみるかによって説が異なるようです。 伝承としての由来の他、史家2人が伝承は「史実と食い違いがある」「付会である」と指摘して自説を述べています。このため、衆目の一致する由来がないため、これら3つの説を紹介します。(MT記) 【伝承】 鎌倉公方足利氏満の制止を無視して反乱を起したことで知られる小山義政(1382年没)の子は、幼名を若犬丸と称し犬をこよなく愛した。愛犬が死んだので塚を築き手厚く葬ったので、それ以降この塚を犬塚と称するようになった。この説がロマンがあるため一般的に知られている。 【山中真市郎氏(郷土史家)説】 大きな塚(古墳)があって、その塚の先に開けた土地から戌(いぬ・西北西)の方向に大きな高い塚が見えるので、誰が言うとなく塚のある土地を犬塚と称するようになった。中久喜の城山辺か、小田林あたりの大きな塚からの眺めではないか。(「小山郷土文化研究第一集」より) 【塙 静夫氏(はなわしずお・栃木県考古学会会長)説】 イヌは低いという意味があり、この塚が低い塚ということで犬塚になった。(「とちぎの地名」より) |