二十歳の誕生日を迎えるに当たり、
今の想いを書き残しておこうと思い、
メモ書きに利用しているソフトを立ち上げてみたら・・・
あらら〜しまった〜(・。・;
一年前に書き綴っておいた文章が未公開のまま放置!?
てなわけで、二十歳の区切りでもあるし、
せっかくなので、UPしておこう。
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今でも鮮明に覚えている。
8か月検診で発達の遅れの疑いがあり、
再度別のドクターの診察の必要性があるとの保健師さんからの電話を受けて、
頭のなかが真っ白になりながら、家にある医学書のページをめくった日のこと。
その後、近所の病院で脳波検査を受け、その結果を持って大学病院受診。
1歳過ぎに発達が遅いことが明らかになり、検査入院が決まったその日の
病院での会計待ち中に、ベビーカーに乗る無邪気なまぁちゃんの顔を眺めながら
涙した日のこと。
病院からの帰り道、溢れる涙を拭いながらハンドルを握っていたあの日のこと・・・
眠っているまぁちゃんの寝顔を見ながら、布団の中で一人涙した夜。
挙げ始めたらキリがない。
何度涙を流したことか・・・
何故、涙が流れてしまうのだろう。。。
我が子が障害児であるという現実を次から次へと突きつけられ、
病院を回り、療育に奔走し、必死だった幼少期。
親子教室に通いながら、保育所にも3年間お世話になった。
そして、当時で言えば養護学校就学。
最初は教室にも入れなかった。
参観に行けば、なぜか涙ぽろぽろのまぁちゃんだった。
振り返ればあっという間の12年間の学校生活も終わりを告げ、ついに社会人だ。
学校という壁に守られてきた。
この18年間で、障害のある人たちを取り巻く環境も随分変わってきたと思う。
療育だって、あの当時に比べたら、充実しているみたいだし・・・
だが親に対するフォローは・・・どうなんだろう?
正直わからない。
時々感じる孤立感。
普段は閉じ込めておく感情、障害のある子を産んだという罪悪感。
それは育て方が云々ではなくて、持って生まれてきたものだと言われるとなおさらである。
必死に受け入れようとして、最終的には諦めに達する。
それがいちばん気持ちが楽だから。
大丈夫・・・
なんとかなる・・・
そんな言葉は気休めでしかない。
障害者は世の中で必要な存在だって・・・
障害があろうとなかろうと、
みんな必要な存在だ。
それをあえて口にするということ。
その裏側には、どこかでそう言わないと
受け入れられない自分がいるからじゃないのかなって思う。
心から我が子が障害を持って生まれたことに感謝しているかって?
これもまた、100%言い切れるかって言われたら、
やっぱり、こう思うだろう。
「健常がいいに決まってる」
「諦めずにできたこともあっただろう」
言ってはいけない・・・
そう・・・
こんなことは言ってはいけないんだ。
親であるあなたがそんなことを言ってどうする!?
お叱りを受けるだろう。
自分も含めて、世の中偽善だらけだ・・・
それでも、受け入れて生きていかなければいけない。
親なんだから、産んだ責任ってものがある。
よく言われることがある。
「とても明るくて、
障害のあるお子さんのお母さんには見えませんね」って。
そうか・・・
障害児の親って、暗いイメージなんだよね。
ホントは心のなかで、こんな自分もいたりする。
誤魔化しながら、元気なふりして、笑顔をみせる。
だから時々疲れ果てて、電池切れとなる。
そうなんだ、自分は嘘つきなんだ。
本当は逃げてばかり。
現実から目を逸らし、耳を塞ぎ、考えることをやめた。
なるようになる・・・
いや、なるようにしかならない。。。
流れに身を任す。
もっとできたことがあるんじゃないか?
これ以上できないってくらい手を尽くしたか?
そんな問いかけばかりが頭の中をぐるぐる廻る。
社会人として新たな世界へと旅立つまぁちゃんを
全力でサポートする。
それが私にできること。
でもいつの日か、その手を放さなければいけない時がくる。
そのタイミングはいつ訪れるのだろう?
委ねるということ。
そうだ。いつまでも親がかりではいけないんだ。
決断しなければいけない時が来る。
でもやっぱり、こんなことを考えてしまう。
神様、もしも願いをひとつだけ 叶えてくださるというのなら
まぁちゃんより一日、いや、一秒でいいから長生きさせてください。
一緒にお空に昇っていきたいのです。
その日のことを考えると、ただただ辛い。
だから考えたくない。
ほら、また逃げてる。
2015年4月記 |